やっと完結
「僕達の終活日記」です。
■プロローグ
今日 友達のAくんに誘われて初めてデモに参加した。このままだと、僕らが戦争に行かされるらしい。デモに行くと沢山の人達がいた。テレビの人や新聞記者や偉い国会議員の先生もいた。みんな僕らを応援してくれた。記者さんにも質問されたし、国会議員の先生は握手してくれた。とても嬉しかった。
デモが終わると、おじさん達がよってきて、おごるから飲みにいかないかと誘ってくれた。汗をかいた後の生ビールはうまい。おじさん達も僕らぐらいの頃、デモをしていたそうだ。このままだと、戦争に行かされて僕らは殺されるらしい。これを止めるには総理をやめさせるしかない
僕たちが「帰る」というと、また来いよと連絡先を交換して、僕たちにお小遣いだよと封筒を渡してくれた。開けたらお金がはいっていた。楽しんでお金が貰えるなんてアルバイトするのがバカバカしくなってきた。次も連絡してくれるらしい
おじさんから電話があった。○日にデモがあるらしい。僕はいきますと答えた。待ち合わせ場所に行くと、おじさんとリーダー達が待っていた。おじさんはリーダー達を紹介してくれた。頑張れば僕も仲間になれるっていってくれた。かわいい女の子もいた。彼女は僕をみてたと思う。彼氏はいるのかなぁ?
そこにテレビ局と新聞記者さんが近づいてきた。そして、カメラをまわし取材を始めた。かっこいいなぁ 僕は羨ましかった。そこに偉い国会議員の先生がやってきて、みんなで楽しそうに話してた。僕もあんな人になりたいなぁ
取材が終わると、かわいい女の子がやってきて、僕の名前をよんでくれて名刺をくれた。そして、携帯電話の番号を交換した。あまり話せなかったけど、凄くうれしかった。いつでも電話ちょうだいといってくれたけど電話してもいいのかなぁ
翌日、朝起きると彼女からこれからはラインで話そうとメールが来ていた。やったー。。。一生懸命彼女に返事を書いた。嫌われないかなぁと心配だった。すぐに彼女からラインで返事がきた。僕をグループに入れてくれるらしい。僕は有頂天になった。
ラインでみんなが次のデモの話をしていた。今運営のスタッフが足りないらしい。組織が急に大きくなったので追いついていないみたいだ。僕にお小遣いをくれたおじさん達もいた。みんな難しそうな話をしていた。
僕が経済学部だというと、みんなから会計責任者になってほしいと頼まれた。僕か何をしたらよいのかわからないと言うと、彼女が私が手伝うから大丈夫だと言ってくれた。彼女は一人じゃ無理だけどやることはわかっているらしい。おじさんが明日銀行口座を作りに行こうと言ってくれた。
おじさんが支店長さんに僕を新しい会計責任者だと紹介してくれた、支店長さんはがんばれよと僕を励ましてくれた。そして、わからないことがあればいつでも相談にのるからと言ってくれた。僕は身分証明と印鑑を出して、書類をかいた。支店長さんはとても親切に教えてくれた。
デモは日毎に大きくなっていった。そして、メディアに取り上げられる事も増えていった。僕はこれで戦争を止められると思った。。。そんなある日、デモの最中、おじさんが警察に捕まった。警察官に暴力を振るったというのだ。そして、これは新聞に載った。おじさんは過激派のメンバーだったらしい。
僕は過激派を何か知らなかった。。ネットで調べたら、テロ団体として、警察の公安に監視されているようだ。ひょっとして僕も監視されるのかなぁ。僕をデモに誘ったA君はもうデモには参加していない。夏休み実家に帰った時、お母さんに話したら、就職できなくなると泣かれたようだ。
そして、A君は、僕の電話にも出なくなってしまった。。友だちに聞いたらあいつヤバイからもう関わりたくないといっているようだ。そして、ネットで騒ぎが起きた。どっかの議員がデモに参加すると就職できなくなるといっているらしい。でも、新聞を見るとそんなことはないと書いてある。僕は安心した
デモのリーダーたちは毎日のように取材を受けている。あの彼女も。。残念ながら、彼女からは連絡がない。彼女は会計を手伝ってくれるといっていたが、忙しくてそれどころではないようだ。デモで一緒になるけど、ほとんど喋れていない。。僕は何をしているのだろう。。。。
デモが大きくなるに連れて、いろいろな人がデモに参加するようになった。有名な国会議員さんも来てくれている。。でも、最初からいたメンバーは最近分裂気味。。僕を誘ってくれたおじさんは追い出されようとしている。過激派と関わると僕らもヤバイらしい。だから追い出して口きくなといわれた。おじさんとても寂しそうにしていた。
組織は大きくなったんだけど、派閥みたいなのが出来てしまった。最初からいたメンバーもバラバラになり始めた。みんな他にも所属している団体があるらしく、そこから応援の人がたくさん入ってきた。ありがたいんだけど、なんだか憂鬱。。だけど、僕らが有名になったおかげでお金が沢山入ってきている。
僕らの反対をよそに、政治家は戦争法案を無理やり通そうとしている。だから、僕らは夏休み最期のデモを国会でやることにした。全国からいろいろな人が応援に来てくれるらしい。。テレビでよく見る国会議員の先生たちもたくさん来るみたいだ。。また、僕らの仲間がハンストを始めた。。
ハンストを始めた仲間たちのところにも沢山のメディアが来ている。。僕もテレビに写りたいなぁ。。でも、親にはナイショだし、、就職できなくなったら困るし、、、とりあえずデモは大成功だった。。仲間たちは15万人集めたといっている。でも、戦争法案はそのまま通りそうだ。僕は少し鬱になった。
そして、僕らの反対をよそに戦争法案は国会を通ってしまった。。僕らの夏は終わった。そして、僕らの仲間たちの多くが去っていった。でも、まだ僕らが終わったわけじゃない。。。メディアも取り上げてくれるし、、、お金もある。政治家さんも僕たちを呼んでくれる。
そんなある日、信用金庫から僕のところに電話があった。 僕に信用金庫に来てほしいというのだ。 とりあえず、僕は信用金庫に行った。すると、沢山の人が僕のことを待っていた。だけど、口座を作った時の支店長さんは居なかった。 本店に呼ばれたみたいで、もう支店には戻ってこないらしい。
僕らには代表はいない 僕らは自由に集まったのだ。。だけど、信用金庫の人に聞くと何かあった時は会計責任者の僕の責任になるらしい。税金も僕が払わなくてはいけないみたいだ。そして、もう銀行からお金を下ろせないと言われ、通帳やキャッシュカードを返してほしいといわれた。
僕は銀行口座もキャッシュカードも持っていない。僕がしていたのは言われたままネットで入金をチェックし帳簿をつけていただけなのだ。 そういえば通帳を誰が持っているのだろう。。。僕はわからないと答えた。。。そして、リーダーに電話した。リーダーと信用金庫の人がなにか話している
僕はとりあえず、リーダーたちが待っているところにいった。リーダーが言うには政治団体の届け出をすればいいらしい。そうしないと、銀行のお金を下ろせないしものすごい税金が僕にかかるみたいだ。そんなお金親に相談しても払えない。。。でも、届け出を出すだけで大丈夫なようだ。
ネットで調べたら、政治団体の届け出をするのは簡単らしい。僕とリーダーは届け出を出しに行った。窓口のおじさんは色々親切に教えてくれた。これまでとは違い名前を聞いたり職業を聞いたりしないといけないみたいだ。。報告書もいるみたい。めんどくさいけど仕方ない。。。
でもどうしよう。昔もらったお金は誰から貰ったかわからない。領収書も貰っていないのもあるし、、、お金を誰が使ったもよくわからない。。。 どうすればいいんだろう? 一緒の口座を作りに行った彼女もいつの間にかいなくなっちゃったし、そうだ、彼女が通帳を持っていたんだった。、
僕は彼女に電話した。でも、現在使用されていませんという音声が流れつづけた。 そして、通帳と印鑑だけが郵便で送られてきた。 リーダーなら新しい電話番号を知っているはずなのだが、リーダーは僕に教えてくれない。。。 そして、きちんと報告書ださないと僕の責任になるらしい。
そして、リーダーから連絡があった。リーダーたちが集まっているようだ。僕は会いに行った。。。いつもと雰囲気が違い、みんな責任の押し付け合いをしているようだ。そして、僕は知らないとみんないなくなってゆく、、 政治団体を届け出なくて募金を集めたのが犯罪になるらしい。。。 僕はふるえた
これで ぼくの夏休みは完全に終わった。。人生も終わったかもしれない。やらなくちゃいけないことがあるんだけど、何をやって良いのかわからないしやる気にもなれない。。。もう就職どころじゃない。。学校にも行きたくない。ふるえる毎日を送っている。こんなことなら「戦争に行くことを震えていた」方がマシだったのかもしれない。
■帰郷と絶望
あれから色々なことがあった。政治団体になった僕たちの組織だが、誰からいくら貰ったか、だれがいくら使ったのかわからなかった。僕は資金管理責任者になったけど、誰も教えてくれなかった。その時、僕は簡単に考えていたんた。
政治団体になったから、いろいろな事をやらなくてはいけないみたいだ。まずはHPのカンパのページを変えた。色々時書かなくちゃいけない事があるらしい。リーダーに相談したら、誰かに頼んでくれた。
色々わからないところだらけなので、僕はデモを応援してくれている議員の秘書さんに相談した。とりあえず先生に聞いてみて返事するっていってくれた。僕はちょっと安心した。。。でも一週間経っても連絡がない。
連絡がないので携帯電話に連絡したんだけど、留守電すら繋がらなくなっちゃった。いつも親切にしてくれたし、いい人だと思っていたのに。。仕方ない。リーダーに誰が探してもらおう。リーダーに相談すると、リーダーは迷惑そうにしたが、なんとかすると言ってくれた。
気が付くと、携帯電話がなっている。気がつくと、お母さんから沢山の着信が入っていた。心配になって、すぐ電話した。お母さんは電話にすぐ出た。お母さんが泣いていた。僕がデモをしていることを地元の友達から聞いたらしい。お父さんが怒っているみたいだ。すぐ帰ってこいと言われた
僕はいま忙しいので帰れないと言った。お母さんは帰って来てと泣く、仕方ないので明日帰ると伝えた。なんだか帰りづらいけど、とりあえず帰る事にした。リーダーに実家に帰るので、しばらく事務所に行けないとメールした。
リーダーから連絡はない。翌日朝一番の新幹線で実家に戻った。実家に帰り着くと、父がいた。母の姿は見えない。僕を見ても父は何も言わない。父はどこかに電話した。母が近くに住んでいる母の姉と帰って来た。母は泣いている。
誰もしゃべらない微妙な雰囲気の中で、母の姉 僕のおばさんが僕にきいた。いま大丈夫なのと 僕はわからない でも悪い事はしていないと答えた。何故か涙が出てきた。お父さんも泣いている。僕は悪い事をしたのだろうか
お父さんが喋りはじめた。お前はうちの跡取りなんだぞと。。有頂天になってやりたい事をするのはいいが、自分で責任をとれるのか? 自分が今何をしているかわかっているのかと、僕は悪いことはしていない。戦争に行きたくないと答えた。
微妙な沈黙が続いた。お母さんは泣いている。僕は凄く長く感じた。突然、お母さんが喋りはじめた。ごめんなさい。私が悪いのと 僕は思った。お母さんは何も悪くない。でも、ごめんなさい。ごめんなさいと繰り返した。
僕の家は、地元では旧家といわれている。お父さんは三男なので、サラリーマンだけど、僕が産まれる前に死んだおじいちゃんは議員をしていたらしい。お母さんの実家も地元ではそれなりの建設会社をしている。
そんな時、おばさんの旦那さん、つまり、僕のおじさんがスーツをきた人を連れてきた。親しい議員さんの秘書さんだという。困ったことがあった時、先生に相談に乗ってもらっているらしい。秘書さんは東京から来たということだ。おじさんは怒らないから全部話しなさいといった。
僕がひと通り話すと、秘書さんが質問してきた。銀行口座を作った時の話とか、政治団体の届け出を誰がしたのかとか、、、 秘書さんがおじさんに小声でなにか言った。お父さんと3人で部屋から出て行った。何か相談しているらしい。時折、電話で話している声が聞こえてくる。
しばらく時間が経った。お父さんのダメですかという声が聞こえた。。そして、3人で僕のところに戻ってきた。お父さんはすぐに会計責任者をやめてグループから抜けろと言った。 僕は何も悪いことをしていないといった。 秘書さんが政治資金規正法違反になるかもしれないといった
そして、秘書さんは、政治資金報告書収支報告書を僕の名前で出したら僕は終わりだという。収支報告書をいい加減に出したり嘘をついたらそれだけで逮捕されるらしい。そして、責任は報告書を出した人が負うことになっているといった。僕たちはいろいろな人からカンパを受けていた
僕たちの仲間には、外国人や知らない人たちが沢山混じっていた。有名になり始めた僕たちを利用したかったんだと思う。 外国人でもなんでも気にせずもらえるものはもらっていた。支払いも領収書がないものも多い。 いまさら、これを把握するのは無理だし、出来るわけもない
。色々考えていると、突然お父さんが話し出した。お前、ちゃんと授業でているのかと、僕はすぐには何も言えなかった。デモをはじめてから、まともに授業にでていなかったからだ。とりあえず大丈夫だよと答えた。
お父さんがもう一度聞いてきた。大丈夫じゃなくて授業出ているのかと、、しかたがないので僕はあまり出ていないと答えた。ゼミも出ていない。なぜなら、僕をデモに誘ったAくんがいるからだ。実は、就職の準備もしていなかった。このままだと留年することになる。
お母さんは言った。授業に出ていないなら帰ってきて と お父さんは頷いた。 お父さんは留年したら授業料と仕送りを払わないといった。大学に行きたいならば地元の大学に編入しろという。僕は何も言えなかった。そして、東京に戻っても留年は確実で、就職もままならない
僕はとりあえず自分の部屋に戻った。頭の中が真っ白だ。携帯電話にリーダーから僕がいないと困るので早く戻ってこいとメールが入っていた。 これまでメールの処理や領収書の整理など事務仕事はほとんど僕がやってきた。だからどうしたら良いかわからないようだ。
僕はどうしたら良いんだろう。。。親は泣かせたくないし、刑務所にも行きたくない。 リーダーやみんなにも迷惑を掛けたくない。 そして、悪いこともしていない。 でも、このまま東京に戻っても、留年が確定すれば東京にいられない。。これは現実なのだ
僕は一晩考えた。リーダーから電話があったが電話には出なかった。 そして、リーダーに、引き継ぎが終わったら辞めたいというメールを送った。そして、お母さんにそれを伝えた。 お母さんは自分が帰ることを喜んでくれた。お父さんは何かがあれば自分が何とかすると言ってくれた。
お父さんは秘書さんの電話番号を僕にわたし、わからないことは自分で考えず秘書さんに聞くように言った。 リーダーからメールが何度も来ている。 電話もしつこいほど掛かってくる。 みんながいるので出られない。 僕はこれから帰るとだけメールした。
お父さんが駅まで送ってくれた。お父さんは何も言わない。やっと新幹線に乗れた。一人になれたので溜まっていたメールとラインを読むと、心配してくれていた人もいたが、ほとんどが僕への批判で埋まっていた。。 みんなめんどくさいことを僕に押し付けていただけじゃないか
バカバカしいので返事もしたくなかった。時間があるので2chを見てみた。 このところ、2chもツイッターもほとんど見ていなかった。 2chでリーダーの1人が祭りになっていた。 個人情報を晒した反撃で名前を割られてしまったようだ。会社も住所も名前も全部出ている
その人は会社に居られなくなったようだ。家の写真まであがっていた。その人のつながりから他のメンバーを割ろうとしている人もいる。僕は震えた。。 僕は戦争に行きたくないので良いことをしているとおもっていた。そして、、自分は無名なので安全だと思っていたのだ。
スレッドを追うと他の人も名前も出ていた。僕たちはどうなっちゃうんだろう。。。そして、東京についた。 誰かが僕を見ているように感じた。。そんなはずないのに、、僕の名前はどこにも出ていない。どうしたらよいかわからず、とりあえず、秘書さんに電話した。
秘書さんは直ぐに電話にでてくれた。僕は東京に帰ってきたこと、後片付けが終わったら田舎に帰る事を伝えた。秘書さんは東京に戻った後、いろいろ調べてくれていたみたいだ。僕はどうしたらよいかわからないと伝えた。秘書さんは議員会館で待っているという。
議員会館のロビーにつくと、秘書さんが待っていた。 秘書さんは僕についてくるように言った。 専門の弁護士さんを紹介してくれるそうだ。 おじさんが先生に頼んで手配してくれていたみたいだ。僕は少しほっとし、おじさんに感謝した。
おじさん夫婦には子供がいない。だから僕を子供のようにかわいがってくれている。自分の会社も僕に継がせたいといっている。事務所に行くと、応接室に通された。そこには弁護士の先生がいた。秘書さんの話だと、もともとは有名な検事さんだったらしい。
弁護士さんは、これまでの経緯をすべて話すように言った。 そして、弁護士さんはどんな書類に署名したかとか銀行口座の話などいろいろ聞いてきた。難しそうなかおをしている。そして、僕にもう仲間とメールや電話をしたり、あってはいけない 携帯電話も変えなさいと言った。
しばらく話をしていると、弁護士さんの電話がなった。先に調べてくれていたようだ。誰かと何かを話している。弁護士さんは、君たちのグループに公安の監視対象者が沢山紛れ込んでいるねぇといった。僕は前に捕まった中○派のおじさんの話をした。
弁護士さんは何人かの名前とグループ名などを言って、彼らは公安の監視対象だよ。その手のプロなんだ。そもそも、学生だけでデモを簡単にしきれるわけないだろうといった。言われてみればその通りで、いつも誰かが街宣車を用意したり、必要なものの手配をしていた。
僕は、学生たちだけでやっているつもりだった。でも、実際に仕切っているのはおじさんたちだった。弁護士さんは、彼らはメディアを使い君たちを利用していたんだといった。 言われてみると、いつも来る記者さんやTV局の人とおじさんたちは親しそうに話していた。
弁護士さんは話し始めた。僕らが学生の頃、学生運動というのがあって、左翼があこがれの対象だった時代があったんだ。 安保反対と騒ぐのがファッションだったといえるかもしれない。 僕の友達も何人かのめり込んでね。おかしくなってしまったんだ。
そして、学生紛争も末期になると、暴力事件が多発して、まともな人はいなくなり、どんどん先鋭化していったんだ。最後は革命だといって、火炎瓶を投げたり、派閥間の抗争で人も殺したんだよ。ハイジャックした連中もいる。 で、活動家はまともな会社に就職できなかった
企業は社会主義や共産主義にかぶれた人を取りたがらないからね。 だから、人手不足の中でも就職できない人がたくさん出たんだよ。その受け皿になったのがメディアだったんだよ。 当時新聞社はブンヤと呼ばれ、給料も安いし身分も下に見られていた。
もともとメディアというのは 権力の監視が仕事だから、そういう人を受け入れる土壌があった。当時は、テレビは始まったばかりで新聞に入れない人がテレビに入ったんだ。 そして、彼らはどんどん仲間を入れたんだ。 だから、未だにつながりがある人がたくさんいるんだよ。
僕はその話を聞いて気がついた 僕たちがデモをする場所を誰かが準備してくれただけでなく、何故か記者さんやTVカメラが先に来ていた。そしてみんな好意的だった。あたりまえだと思っていたけど言われてみるとおかしかった。 僕の中にあった気持ち悪さはこれだったんだ。
弁護士の先生は続けた。でも、君の場合、君自信も責任を取らなくてはいけなくなるかもしれない。君は悪いことをしていないとおもっていたようだけど、いくつかの法律を犯してしまっている。政治目的でお金を集めるには、先に政治団体の届け出が必要なんだ。
僕たちが任意団体のままカンパを集めていたのはそれだけで犯罪だったらしい。僕は知らなかったといった。弁護士の先生は続けた。政治団体の届け出をした以上、過去の分もさかのぼってしらべられることになる。きちんと記録しているのかねと僕に聞いてきた。
僕は正直に答えた。銀行の振込分の金額はわかるけど、振込の名前しかわからないと。。先生は住所と電話番号、職業も必要だよといった。今更調べられない。。どうしようもない。。更に先生は続けた。外国人や企業や団体からお金を貰っていないですよね 僕は青ざめた。
僕らのグループのリーダーの中には在日の人もいる。彼らからのカンパも多い。労働組合や企業からもお金を受け取っていた。その中には銀行振込のものもあった記憶がある。どうしたらいいのかわからない。弁護士さんは続けた。お金を返すのが一番だけど、わからないとかえせないねぇ
弁護士さんは僕に聞いた。ところで今お金を誰が管理しているの そしてお金は残っているのと 僕は答えた。僕がしていたのは記帳だけで、お金はリーダーたちがおろしていたと、そして、入った分を使っていたのでほとんど残っていないと思うと。。
弁護士さんは続けた。その状態だと、お金をまともに管理していなかったみたいだね。カンパで飲み会に使ったり、私物を買ったってことはないよねと。。。僕は何も言えなかった。。。弁護士さんはそれは詐欺になる可能性があるよと僕にいった。政治資金規正法違反に詐欺 僕は混乱した
弁護士の先生はじっと考えている。 しばらく考えて口を開いた。 政治資金規正法では 届出前の寄附又は支出の禁止(第8条) というのがあるんだ。 君たちは政治団体の届け出をした。 ここ時点で任意団体だという言い訳が使えくなったんだ。
君たちのグループは政治団体に該当すると思われるが、任意団体と言い張ることで罪にならないという逃げ道があった。任意団体ならば税金がかかるが、犯罪にならないで済んだかもしれない。僕に早く相談してくれればそっちを選んだろう。でも、もう遅いんだ。。。
そして、政治団体の届け出をした以上、政治団体として義務付けられている事をしなくてはいけない。 台帳への寄付を受けた人の住所名前職業の記載や収支報告などやらなくてはいけないことだらけなんだ。 匿名のカンパや企業団体からの献金を受けていたのでこれでも処罰される。
君の話では、件数も多く今更調べることが出来ないみたいだね。だから、まともな報告書を作れるわけもない。 本当は問題のある献金を全て返金して、私的流用を指摘される可能性がある物を補填するべきなんだが、いまさら出来る話ではないようだ。 申し訳ないがどうしようもない
君が口座を作ってなければ、そして資金管理責任者でなければ、今すぐグループを抜けて、二度と関わるな というんだが、君の場合、そうはいかないようだ。 君の選択肢は 過去の献金などを全て調べできるだけ返金などをするが、妥当な理由を付けて、資金管理責任者を辞めるか
どちらにしても、社会問題になれば君は罪を問われることになると思う。 但し、返金などを行いきちんと対処をすれば情状酌量を認められるかもしれない。 早めに自首して、減刑をこう方法もある。悪意ではないようなので起訴をまぬがれる可能性もないわけではない。
私なら、自首してその上で捜査当局に完全協力することで、起訴猶予などをしてもらえるように努力するがね。 君がそれを選ぶなら私は弁護士としてできることをするよ。 まずはご両親や家族に相談するのが良い。 いつでも電話しておいて と携帯の電話番号を教えてくれた
僕は秘書さんと一緒に弁護士の先生の事務所を出た。 正直どうしたらいいのかわからない。 とりあえず、お母さんに電話した。 お母さんは直ぐに電話にでてくれた。お母さんは大丈夫と僕に聞いた。 僕はないた。そして、言葉が出なかった。秘書さんが電話を変わってくれた。
秘書さんはお父さんに変わってほしいといった。 お父さんに事情を説明してくれている。 すぐにお父さんとおじさんが東京に来てくれるようだ。 秘書さんはその後ホテルの手配をしてくれた。そして、ホテルでご両親たちが来るのを待とうといった。 僕の頭は真っ白だった。
ホテルの部屋に着いた。秘書さんは電話をしてくるといって、部屋を出て行った。僕はひとりになった。携帯電話の電源を入れると、沢山の留守電とメールがきていた。リーダーや仲間達からだ。
僕は何も考えられなかった。すると電話が突然なった。A子先輩からだった。A子先輩は僕の1年先輩で大学4年 僕と一緒に事務仕事をしてくれている。彼氏と一緒にグループに入ったけど、別れたらしい。最近は全く元彼を見ていない。
どうしようか迷ったが、僕は電話に出ることにした。A子先輩は僕が電話に出ると泣き出した。泣きじゃくりながら死にたいといっている。僕はどうしたのと聞いた。何か言っているけどうまく聞き取れない。
僕はそのまま彼女の話を聞いていた。少し落ち着いたようで聞き取れるようになってきた。彼女にとっても昨日は大変だったようだ。朝から事務所の電話がなりっぱなしで、全部クレームだったようだ。
2日前、僕たちはHPで政治団体になったことを公表した。そして、5万円以上のカンパが公開されることを発表した。これがネットニュースで流れ、名前が公表されると困る人達からクレームが来ていたようなのだ。金を返せとか脅しのような電話もあったという。
リーダー達は電話やメールの応対を全部 A子先輩に押し付けて出かけたとのことだ。 A子先輩は僕とは違いお金をもらって事務所を手伝っている。だから、リーダーには逆らえない。 彼女にはお父さんがいない。 生活費は自分で稼ぎ、大学も奨学金で通っているようだ。
リーダー達が帰ってきたのは夕方で、帰ってくるなり彼女に当たり散らしたらしい。彼女は辞めると言って事務所を出てきたようだ。 さらに悪いことに、うちに帰ると就職の内定取り消しの通知が届いていたようなのだ。お母さんには話せないという。。
彼女はもう事務所にはいけないといっている。そして、今日は休んだようだ。 リーダー達や仲間からの大量のメールはこれも原因だったのだろう。事務仕事が止まってしまったのだろう。僕は彼女に僕も辞めるつもりだ。と話した。
弁護士さんに相談したら、自首を進められたと話した。彼女は私もどうなるのと聞いた。僕はわからないと答えた。彼女は混乱している。すると、ドアをノックする音が聞こえた。秘書さんが帰ってきたようだ。人が来た、また電話するといって電話を切った。
秘書さんは、お父さんたちが来たら、総務省に相談に行こうと言った。総務省の担当部署に連絡し相談ていたようだ。 お父さんから電話があった。東京駅に付きタクシーでホテルに向かっているということだった。秘書さんはロビィに迎えに行くようだ。 A子先輩からメールが来ていた
一人になったのでメールを読んだ。「私はどうしたらいいの、お母さんにこれ以上迷惑かけられない。いままでありがとう」と書いてあった。僕は気になって彼女に電話した。だけど、彼女は電話に出なかった。どうしよう、僕が彼女を追い詰めてしまったかもしれない。
僕はどうして良いのかわからなかった。大丈夫とメールをしたが返事がない。A子先輩と親しいB子さんに電話をした。B子先輩にも気になるメールが来ていたみたいだ。僕が事情を話すと近くに住んでいるので今から見に行ってくれるらしい。
ドアがノックされた。僕がドアを開けるとお父さんとおじさんが部屋に入ってきた。お母さんは居なかった。僕がお母さんはと聞くと、体調が悪いので家で待っているとのことだった。おばさんが付き添ってくれてるとの事だった。どうしようか迷ったが、僕はA子先輩の話をした。
秘書さんが戻ってきた。総務省に行く準備ができたようだ。僕たちはタクシーで総務省に向かった。 タクシーの中で電話がなった。 A子先輩のうちに行ったB子先輩からだった。 B子先輩がA子先輩のうちにいくと、先に警察と救急車が来ていたとの事だった
A子先輩は睡眠薬を大量に飲んで、母親に電話をしたらしい。母親が110番したのですぐに警察が来て対応したようだ。B子先輩は、早く見つけたので大丈夫だと思う。とりあえず、そのまま付き添って病院にいると言っている。今彼女のお母さんが病院に向かっているとのことだった。
僕たちは総務省に着いた。総務省につくと担当の課長さんが待っていた。僕たちは会議室のような部屋に通された。 僕は素直に聞かれた質問に答えた。誰が口座を作ったかとかいつから活動をしているのかとか、、聞かれたことでわかることを答えた。
課長さんは言った。 私達総務省は指導や監督をしているだけで捜査機関ではありません。 先に相談に来てくれればよかったんですが、今の状況ではまともな報告書が出せる情況ではないですね。できることは限られていますが、外国人や企業団体からの寄付は返金しないといけない
また、150万円以上の献金も超える部分は返金しなくてはいけない。政治献金になりますので、単なるカンパだと思い献金した人への返金などの対応も必要でしょう。その上で支出も政治資金として落とせるものがどうか確認も必要ですね。代表者を含めて皆さんで対応する必要がある。
まずは代表者を含む関係者の皆さんで話し合って対応する必要がありますが、貴方からそれを話すことは出来ますか、、と課長さんは僕に聞いた。僕は何も言えなかった。秘書さんが弁護士さんに相談していると代わりに答えてくれた。とりあえず弁護士さんに相談しよう。
秘書さんが弁護士さんに電話をしている。 弁護士さんと明日会えるように手配してくれているようだ。 僕たちはホテルに戻った。秘書さんは明日お迎えに来ますと言って帰っていった。 僕はただ無言だった。 お父さんが言った。おじさんになにかいうことがあるだろうと
僕はおじさんにごめんなさいと謝った。 おじさんはしばらく黙った後、私はできることをするから、お前は何が悪いのか考えろ、他人のせいにしていては解決しないぞ といった。 僕は考えたこともなかった。 おじさんは部屋を出て行った。僕はお父さんと二人になった
お父さんはお母さんに電話をするように言った。 電話をするとおばさんが出た。 僕はおばさんにもごめんなさいといった。そして、お母さんにかわってもらった。 お母さんにもごめんなさいといった。涙が止まらなかった。ドアのノックが聞こえたので電話を切った
ドアを開けると、コンビニの袋を持ったおじさんが居た。 弁当を買ってきてくれたみたいだ。 そういえばご飯を食べていなかった。 おじさんは明日も早いから弁当を食べて早く寝ようと言ってくれた。 僕たちは無言で弁当を食べた。 そして、そのまま寝た。
ベッドに入ったがなかなか眠れない。色々な事がありすぎた。眠れないので、携帯電話の電源をいれた。B子先輩からメールが入っていた。A子先輩は大丈夫だったみたいだ。お母さんが来たのでうちに帰ると書いてあった。僕は少し安心した。リーダーから留守電も入っていたが無視した
気がつくと9時半を過ぎていた。お父さんとおじさんが何か話している。僕はA子先輩の話をした。お父さん達は少し安心したようだ。秘書さんが10時に迎えに来てくれる。急いで準備しないといけない。
秘書さんと一緒に弁護士の先生のところにタクシーで向かった。弁護士の先生は僕たちをみるなり、とりあえず警察にいこうといった。僕がびっくりした顔をすると大丈夫身辺警護をお願いするだけだからといった。
弁護士の先生は検事時代のツテを使ってさらに色々調べてくれたらしい。詳しくはおしえてくれなかったがグループに危ない人が混じっているので、警察に動いてもらうと言っている。僕たちは近くの警察にいった。
警察官は僕のうちの周辺の警備を強化してくれるといった。弁護士さんはリーダーやグループの人との交渉は僕がするといってくれた。 僕たちは、弁護士事務所に戻った。 弁護士さんは正式に受任するから、委任状に署名してほしいと僕に言った。
お父さんは頷いている。僕はサインした。三文判でいいので認め印がいるみたいだ。僕が持っていないというと、事務員さんを呼んで近くの文房具屋に買いに行かせた。費用はお父さんたちが出してくれるみたいだけど、いくら掛かるのかなぁと少し心配になった。
弁護士さんは受任通知を出すので、僕に事務所とリーダー達の連絡先を教えてほしいといった。 僕は言われるままにそれを教えた。 受任通知というのは、弁護士さんが正式に代理人になったということを相手に知らせるものらしい。できるだけ早く携帯の電話番号を変えるようにいった。
弁護士さんは、これからは僕が君たちの仲間と話をします。まずは君がグループを辞め、資金管理責任者を辞職出来るようにします。それでいいねと僕に聞いた。 僕は頷くしかなかった。 問題は君が資金責任者時代に集めたお金と違法行為になるんだが、、
弁護士さんの話では、前例がないのでどのように対処したら良いのかわからないようだ。 但し、刑事告発があれば検察として動くことになるとも言っている。 この場合、起訴されるかどうか、情状酌量が受けられるかどうかは僕たちの対応次第とのことだった。
僕たちの仲間に過激派のメンバーや反社の人たちがいることも検察官の心象を悪くする理由になるだろうと言った。 君はわからなかったと思うが、今は反社の人たちと係るだけで犯罪になる時代なんだよ と僕にいった。 僕は良いことをしていたつもりだった。。
そして、任意団体で集めたお金は、最悪口座を作った僕の収入として見られる可能性があるということだ。 僕はお金を貰っていないしお金もないし払えない 税金は破産しても消えないので一生かけて払うしかないようだ。僕はどうしたら良いのだろう。
それを避けるには、僕の収入ではないと証明する必要があるとのことだが、僕は通帳の入金を管理していただけでお金がどうなったのかわからない。預金の引き出しはリーダー達がカードでやっていたのだ。そのお金がどうなったのかも今更わからない。
僕がその話をすると弁護士さんも頭を抱えている。弁護士さんはいった。君たちの周りにはまともなオトナの人がいなかったのかいと 僕は答えた。 有名な政治家さんや大学の先生たちもいたし、メディアの人たちもいたと 、でも誰も何もいわなかったと。
弁護士さんは電話をかけている。税務に詳しい弁護士さんに相談しているようだ。とても厳しい顔をしている。とりあえず、任意団体時代のお金をどう処理するかにかかっているとの事だった。 検察にいって相談するしかないようだ。
弁護士の先生は明日来てほしい。それまでに検察との連絡などできることをしておくといってくれた。おじさんは仕事があるのでいったん家に帰るといっている。お父さんはとりあえず残ってくれるようだ。ホテルに着く前に新しい携帯電話を契約し弁護士さんに番号を伝えた。
ホテルに着いた。僕はテレビをつけた。リーダーたちが政治家さんたちとテレビに出て何か言っている。僕は思わずTVを消した。。。今の僕は何なんだろう。 僕が苦しんでいるのに、、なぜか僕はがくがくと震えていた。。 そんな僕をお父さんが呆然と見つめていた。
お父さんは何か食べに行くかと僕に聞いた。 僕は首を横に振り 外に出たくない といった。お父さんはじゃあルームサービスを取るか 何が食べたいと僕に聞いた。 僕は要らないと答えた。 なぜか震えが止まらない。。。 そこにお父さんの電話がなった。
電話は弁護士の先生からだった。 お父さんが弁護士の先生と何か話している。 明日検察に一緒に相談に行くとの事だった。お父さんが僕の状態を先生に話し、家に連れて帰りたいといっている。 とりあえず明日事務所に来てほしいとのことだった。僕は震えながら大丈夫と答えた。
電話を切った途端、ホテルのドアがノックされた。 僕はびっくりした。止まりそうだった震えがまたひどくなっている。 するとルームサービスですと声が聞こえた。お父さんがドアを開けて受け取っている。サンドイッチとウィスキーを頼んだようだ。
お父さんは一口でいいから食べたほうがいいといった。そして、酒飲んで寝ようといった。僕はサンドイッチを口に入れた。何の味もしなかった。。。そして、ベッドでウィスキーをがぶのみした。隣でお父さんがお母さんやおじさんたちと電話で話している。僕はごめんなさいといった
翌朝、僕とお父さんはタクシーで弁護士の先生の事務所に行った。ちょっと外に出るのが怖い。。。弁護士の先生は僕とお父さんに検察に行ってとりあえず話をしよう。一応検察に事情を話し連絡先を明らかにしておけば実家に帰っても大丈夫だと思うといった。
僕たちは弁護士さんと一緒に検察にいった。受け付けで弁護士さんが何かを話している。受付の人は電話をして8階にどうぞと答えた。僕たちはエレベーターにのった。エレベーターを降りると人が待っていた。弁護士さんの知り合いのようだ
その人は応接室のような部屋に僕たちを案内した。そして、その人は検事Kです。と僕たちに自己紹介をした。 弁護士さんがすでに概要を話してくれているようだ。Kさんは言った。 どうなるかわからないが、違法行為が行われた以上、僕たちには対処する必要がある。
Kさんは、問題ないですよ。ただし、常に連絡がつくようにしておいてくださいといった。僕はうなずいた。そして、僕たちは建物を出た。とりあえず、 お父さんと僕はタクシーで荷物を取って実家に帰ることにした。 必要なものを取りに僕のアパートに向かった。
秘書さんが心配して電話をかけてきてくれた。お父さんとなにか話している。お父さんはお願いしますと秘書さんに何かを頼んだ。そして、僕に 秘書さんが引越し業者を手配してくれる。最低限必要な荷物だけを持ってゆこうと言った。僕は頷いた。そして、荷物を持って新幹線に乗った。僕の話はこれで終わりだ。
エピローグ
今、僕は地元に帰って、おじさんの会社でアルバイトしながら、来年の受験に備えている。グループからの連絡はすべて弁護士さんが対応してくれているようだ。弁護士さんがリーダーに会計責任者を替えるように説得してくれた。弁護士さんの話では、検察も僕は単なる事務員と判断しているとのことだ。僕に関しては起訴を逃れられると思うと言ってくれた。
本当に僕は何も知らなかった。。何も知らず勝手に大人になったつもりになっていた。。。でもそれは違うという事はよくわかった。みんな僕を利用しようとしていたんだ。そして、それは僕にとって気持ちが良かった。。でも、それは間違いだったんだ。。。誰も責任を取ろうとせず責任を押し付け合う。。外から見るとそれがよく見えてくる。
A子先輩とは今もたまに連絡をとっている。いろいろあったが、弁護士さんがA子先輩の対応も引き受けてくれた。彼女も東京に残る事をやめて、実家に帰って就職することになった。今は元気に働いているみたいだ。
そして、肝心のグループは解散することになったみたいだ。政治団体になったせいで会計が大変になりカンパも自由に使えなくなったからだと思う。突然、リーダーが記者会見を開いて参議委員議員選挙が終わったら解散すると発表したらしい。
リーダーは僕達に関わっていた政治家さんたちに頼まれて、全国を回って応援演説をしている。僕はテレビを見ないけど、みんなの話だとテレビや講演で引っ張りだこらしい。だけど他のメンバーは単位が足りなかったり、就職活動してなかったりで大変みたいだ。だから、解散でパニックになっている人も多いらしい。僕も他人のことはいえないけど。。。
今思うと、僕たちは僕達を利用したい大人と大人を利用したリーダー「単なる養分」だったのだと思う。
「僕達の終活日記」はこれで終わりだ。
完
©渡邉哲也
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